Directed Games
ジョナタス・デ・アンドラーデとの対話
2020年10月10日
18:00 – 19:00 「Directed Games」上映
19:30 – 21:00 ブラジル・レシフェにいるジョナタス・デ・アンドラーデとのディスカッション(オンライン)
ブラジル北部の内陸地帯にヴァルゼア・ケイマーダという小さな村がある。途方もなく辺鄙で、極度に乾燥した地域にある人口900人ほどのこの村には聴覚障害のある住民が多いという特徴がある。彼らは正式な手話を身につけていないかわりに、独自の方法でコミュニケーションをしている。「Directed Games」はその村で聴覚障害の人々がゲームをしたり他愛もない日常会話をする様子を撮影した作品。彼らの会話には言語が存在しない。それぞれに話を伝えるために身振り手振りと発話を繰り返す。アンドラーデはブラジル人教育学者パウロ・フレイレが1960年代に成人のための識字教育で使用した方法を適用して、彼らが伝えようとしている話の内容のヒントになるような言葉を映像に添えることで、観客が聴覚障害者の会話の世界に入っていく手助けをする。耳の聞こえる人が耳の聞こえない人の言葉を学ぶきっかけをつくるように。
ジョナタス・デ・アンドラーデ Jonathas de Andrade
1982年ブラジル、マセイオ生まれ。現在、レシフェにて活動中。ブラジル北東部特有の文化に人間の普遍的な価値を見出し、映像やインスタレーションといった様々な方法で作品を制作している。主な作品に、荷馬車が禁止にされることに対する抗議のひとつとして、レシフェの街に馬車とその乗り手を一挙に集めて、ゲリラ的に大規模なレースを行った様子を撮影した「Uprising」(2012)、ブラジルの教育学者パウロ・フレイレが1960年代に実践した成人のための識字教育の考え方を現代にも通用するような内容で再制作した「Education for Adults」(2010)、ブラジル北部アマゾン奥地の漁師が釣った魚を捕るのではなく愛撫する「the Fish」(2016)などがある。
流れに身を任せる
文・構成:永井佳子
上映作品について:
「Directed Games」ブラジル/2019年/57分
監督:ジョナタス・デ・アンドラーデ
ブラジル北部の内陸地帯にヴァルゼア・ケイマーダという小さな村がある。途方もなく辺鄙で、極度に乾燥した地域にある人口900人ほどのこの村には聴覚障害のある住民が多いという特徴がある。彼らは正式な手話を身につけていないかわりに、独自の方法でコミュニケーションをしている。「Directed Games」はその村で聴覚障害の人々がゲームをしたり他愛もない日常会話をする様子を撮影した作品。彼らの会話には言語が存在しないかわりに、それぞれに話を伝えるために身振り手振りを繰り返す。アンドラーデはブラジル人教育学者パウロ・フレイレが1960年代に成人のための識字教育で使用した方法を適用して、彼らが伝えようとしている話の内容のヒントになるような言葉を映像に添えることで、観客が聴覚障害者の会話の世界に入っていく手助けをする。耳の聞こえる人が耳の聞こえない人の言葉を学ぶきっかけをつくるように。
今日はこのような場を設けていただいてありがとうございました。こちらは朝になったばかりですけれど、そちらは夜ですね。
そもそも(永井)佳子とは日本で出会ったのですが、その後、彼女は僕が住んでいるブラジルはレシフェに来ました。そこでブラジル北東部の文化についてたくさん話しました。いかに生きることの困難が文化を形作るきっかけになっているかということ。文学も工芸も映画もすべてです。彼女はそのことを身をもって経験し、北東部がどんな場所か、感覚的に理解しました。僕の作品はまさにそのことをテーマにしているのです。
― この映像のアイディアはどのように生まれたのですか?
ブラジル北東部のセルタオンという乾燥地帯にあるヴァルジア・ケイマーダという集落に行くことになりました。マルセロ・ロゼンバーグというブラジル人デザイナーに声をかけてもらったことがきっかけです。彼はA Gente Transforma という組織の中心人物で、デザインや建築を通じて社会に変化をもたらすような活動をしています。このコミュニティの人々はヤシの葉でカゴをつくることを生業としているのですが、私がそこに行って驚いたのはとても表現豊かな聴覚障害の人々のコミュニティがあったことです。なにしろ、彼らには正式な手話を学ぶ機会がないので、独自の言語を作っていたことには衝撃を受けました。私はこの映像をヴァルジア・ケイマーダの手話を集めた辞書のようにしたいと思ったのです。
最初は素人が何らかの役を演じるフィクションのような作品にしようと考えていました。でも、現地に着くとみな自分の生活について話したくて仕方ないといったようすだったのです。だから最初の計画を変えて、彼らの生活そのものに入っていくことにしました。それぞれが個人的な話や日々の困難を抱えていますが、エネルギーと愛と自尊心をもってそれに立ち向かっているのです。
ヴァルジア・ケイマーダには撮影前に二回ほど訪れて、実際の撮影は技術スタッフと1週間ほどで行いました。でも特に苦労したのは彼らの言葉を翻訳することです。言語が分からなくて十分にコミュニケーションができない場合、現場の流れに合わせないとなりません。でも実は、それが一番面白いのです。自然や日常や現場のなりゆきという現実に直面するのですから。私のように事前になんでも準備をしておきたい作家にとっては、現場のなりゆきに合わせることは難しいことです。映像の編集にもある程度の時間が必要になりました。旅から帰って、撮ってきた映像を見るまで映像と文字を組み合わせることが辞書の雰囲気や語学学習という枠組みをつくるポイントになることに気がつきませんでした。
過去のプロジェクトで、私はパウロ・フレイレの識字教育に関するメソッドを取り入れたポスターを使って、教育というテーマに取り組んだことがあります[i]。フレイレは「被抑圧者の教育学」の著者で社会や政治の解放運動と並行して、成人の識字教育に関して革新的な教育メソッドを作った人物です。今回、ヴァルジア・ケイマーダの人々と一緒に制作することで、自分の初期のプロジェクトに立ち返って、今まで扱おうと思っていなかった手話を通じて教育を考え直すことになりました。
まずは登場人物の自発的な話の流れに任せることにしました。その一方でジェスチャーのカタログを作りながら、音楽を取り込むことを思いついたのです。そしてホメロ・バジリオというミュージシャンの力を借りながら、意味が激しく迸るようすを表現するような音の世界を作り、言葉をカテゴリーに分けることにしました。そうしてヴァルジア・ケイマーダの世界観を視覚、グラフィック、意味的に描くようにしたのです。
最後のクレジットにすべての参加者の名前を連ねたのは、ヴァルジア・ケイマーダの人々に喝采を送り、彼らの自己肯定感を尊重したかったからです。みんなが協力的で、映像のなかでも役者として素晴らしい演技をしてくれました。
[i] 「Education for Adults(原題:Educação para adultos)」(2010)はブラジル人教育学者パウロ・フレイレが成人のための識字教育につかったメソッドを参考に1970年代にブラジルの出版社が作ったポスターをさらに2010年代の社会背景に見合うようなボキャブラリーを加えてデ・アンドラーデが再制作したもの。
― 映像に登場するのはほとんどが聴覚障害がある人々ですが、それ以外の人々も一緒に生活しているのですよね。彼らは文字を読むことはできるのでしょうか?
読むことができる人もいればできない人もいます。彼らが独自の手話を作ったのはLIBRASと呼ばれる公式のブラジルの手話を学ぶ学校に行ったことがないからです。だからこそ素晴らしいのです。しかるべき教育を受けることができないという限られた環境にいるからこそ、自分たちで発明したのです。そして長年にわたる自発的なコミュニケーションの結果として独自の言葉が作られていったのです。ヴァルジア・ケイマーダの手話を研究しているアンドリュー・ネヴェスは、公式な手話にそっくりなジェスチャーもあるし、全く違うものもあるのが興味深いと言っていました。
― 手話をわかるようになるまではどのくらいかかりましたか?
実際には周りの人の手助けが必要でした。それがなかったら、あまりよくわかりませんでした。私は自分が作りたい映像に関してははっきりとしたアイディアがあって、そのことを何の問題もなく伝えることができると思っていました。だけど、現地についたら、全くできない。彼らがやって来て始めても、コミュニケーションができないから状況をコントロールすることができないんです。結局、この映像作品を自分のものにしたのは彼らです。そのことが素晴らしいと思いました。彼らの言語は完全に独立している。そしてときに私たちは全く分り合うことができない。このコントロールの欠如が撮影を進めていくのにとても大切なことでした。
― 子供にはどうやって手話を教えるのですか?
子供は大人と触れ合いながら、主に家庭で手話を学びます。言葉は日々の練習で習得するものでしょう?だから学校なんてないのです。しいていえば両親でしょうか。何でも家庭で行われるのです。人々との交流のなかでね。
― アーティストとして、新作を作るときに最も大切にしていることは何ですか?
プロジェクトによりますが、コミュニティに入るときはくれぐれもその文化を尊重し、私のすることに参加してくれるような環境をつくるようにしています。そのことでしかアート作品が意味をなさないと思うからです。人々がプロジェクトの一部になったとき、それは彼らのものになります。このことは最終的な作品に現れますし、そのエネルギーは観客に伝わります。自発性は現場の人々が本当に心地よく感じている状況でないと生まれません。それは十分な意思疎通と信頼関係、現地の人々と時間を過ごすことで構築されていくのです。私がすることはそういうことです。コミュニティによっては自然に起こるところもありますが、そうでないところもあります。どの場所での体験もそれぞれ違います。
今日はどうもありがとうございました。みなさんの関心とエネルギーが伝わってきました。日本で自分の作品が見ていただけたのはとても嬉しいし、こういう対話がなくて寂しく感じていたところでした。だから今日はお話しできてよかったです。
*この対話の全文は小冊子Materia Prima vol.2 に所収されています。
[i] 「Education for Adults(原題:Educação para adultos)」(2010)はブラジル人教育学者パウロ・フレイレが成人のための識字教育につかったメソッドを参考に1970年代にブラジルの出版社が作ったポスターをさらに2010年代の社会背景に見合うようなボキャブラリーを加えてデ・アンドラーデが再制作したもの。